(57)愛犬を失って1週間

 この1週間、寂しさは募るばかりだけれども、反面、これまで気づかなかった自身の心身の負担がいかに重かったのかも感じている。

 ボニーのためにこそと、仕事も休み全力で介護をしてきたけれども、じつはそれはボニーのためだけでなく、自分のためでもあったのかもしれないと気づく。ここ数年なかった深い眠りに落ちている。

 前にも書いたけれども、ボニーがいなければ、ぼくの家族は崩壊していた。一見幸せな体裁を保ちながら、15年もの歳月をボニーは家族を支えてくれていた。それがこの1週間に嫌というほど分かる。ぼくが家族の一員でいられたのもボニーがいたからだった。ゴールデンレトリバーはとてもやさしくて、家族の仲立ちをしてくれる犬種だけれども、ぼくがボニーと過ごせたのは、まさにそんなボニーがいたからだ。

 ボニーがいなくなってしまったいま、ぼくはこの家族から旅立とうと思っている。きょう、親友たちとお酒を飲み、グリーフケアのためにもブログを書いた方がいいと言われた。たぶん、そうなのだと思う。ただ泣いているだけではボニーはなんのために一緒にいてくれたのか、そしてなんのためにこれからのぼくの人生を導いてくれているのか、そこを見つめなければいけない。
 最後にボニーは、「もういいよ」と言ってくれてた気がするから。


 だから、すこしずつ、また書いていこうと思う。愛犬を失うということと、自らの生と向き合うということ、そして今までの自分の弱さに向き合い、未来へと自分と決別をするということ。

 まだ1週間、つい台所でリンゴを切りながら振り返って「ボニー」と呼んでしまう。そしてそこにいないボニーにリンゴをあげてしまう。そんな自分と向き合いながら、もう少し過ごしていこうとおもう。下手くそな「うた」も書いていけたらとおもう。
 

 亡きものは帰らぬものと知りえども
 振り返ると桜ふたたび




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