㉚脳梗塞から1週間経ち

 先週の日曜の朝、ボニーは3回目の脳梗塞の発作を起こしたが、朝一番の発作ということもあり、すぐに病院に連れて行けたことは幸いだったと思う。 もしこれが午後の数時間の留守番中だったらどうなっていたか分からない。

 とにかく回復は進んで、転びはするけれど部屋の中を自由に歩けるようになった。ただ大事をとって今日も庭だけの散歩にした。ボニーはもっと外を歩きたそうな感じだった。それくらい元気になったんだな。明日は晴れそうだから、久々にバギーに乗って公園に行こうと思う。

 ボニーがもし先週の発作で亡くなっていたら、このブログはそのまま更新されないで中断されて、今日あたりに亡くなった報告を書いていたに違いない。でもボニーは復活した。このブログはまだまだつづくはずだ。願わくば次の16歳の誕生日、10月25日まで……。

 とはいえ、突然に「そのとき」は訪れるだろう。きっと「突然」に来るような予感がする。先のことは分からないから、いまこの一瞬のためにボニーと生きようと思う。そしてそ「その後」のことは、その後に考えれば良い。

 ただ、ぼくはやっぱり「その後」のことをいま考えてしまう。しばらく旅に出て、人生をリセットしようかな、などなど。今日は雨だったからか、そんな鬱々とした気分でドイツの詩人リルケの詩を読んでみたりした。僕らが生きる偽善的世界に、死者がもたらしてくれるものは何か。
 そんな本を読んでいるぼくの隣で、ボニーはつまらなそうにいびきをかいて寝ていた。


 だがお前が逝ってから、この舞台の上に
 一筋の真実が、お前が通って行った隙間を通して
 差し込んで来た。真実の緑のもつ緑、
 真実の太陽の光、真実の森。
              ーーライナー・マリア・リルケ「死の経験」高安国世訳より


 雨音の激しく響く部屋のなか老犬は眠り森を夢見る


 


            


コメント