㊴犬のうつくしさ

 昨日の海ではしゃいで疲れたせいか、今日のボニーはトーンダウンしてずっと寝ている。それでも、夕方の散歩では遠くのO公園をいっぱい歩いた。「いっぱい」と言っても、2週間前の脳梗塞発症前の半分くらいか。後遺症で真っ直ぐ歩けず、左へ左へと曲がってしまうから、ぼくの腕の筋力がいま試されている。

  いま痛んだ腕の筋肉をさすりウィスキーを飲みんがら考えている。犬という存在がなぜこれほどに自分にとってかけがえのないものなのかなと。はじめて飼った犬というのも大きいが、飼い始める前の自分といまの自分がこれほどまでに違ってしまうとは思いもよらなかった。いまはボニーの介護のために、必要最低限の用事しか出かけないようにし、ずっと側にいる。当然ながら友達はどんどん減り、仕事も減った。

 それでも構わない、と思えるのは、犬の存在が何よりうつくしいからだと思う。他の動物には感じられない純粋さを犬は全身から発している。老いて病に陥ったとしてもそうだ。むしろそのうつくしさは増しているように感じる。

 そういえば、いつものJ公園の3人組の女の子たちが今日もやってきて、

「ボニーは斜めから見ると子犬だ!」

と言っていた。「??」とそのときは思ったが、 あとになって子供というのはすごいなと感心した。よろよろと歩く老いたボニーの中にある「うつくしさ」を見たのだと思う。その後すぐに3人は遠くに走っていったが、ボニーはその後ろ姿をずっと尻尾を振って見ていた。

 
 さらさらと水が流れる音がする子どもと犬の会話を聞く夕


 

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