㊵犬と語り合う時間

 長いことボニーと生きてきたけど、一度として言葉を交わしたことはない。それなのに信頼は深まるばかりだ。犬は5、6歳児くらいの言葉の習得能力があると、ある本で読んだことがあるが、飼い主の言葉を理解できても、自分から言葉を発することはない。「お手」に対して手を出すといったような、表情とか動作とかでこちらの言葉に返してくる。
 
 ボニーとの関係は、ぼくが主でボニーが従である。パピーの頃にドッグスクールで習ったその関係をずっと守りつづけてきた。スクールの先生によれば、常に飼い主が「マスター」であらねばならず、犬は「マスター」に従うことを喜びとしている動物なのだ。

 特に大型犬のゴールデンレトリバーであるから、しっかりしつけはした。しかしボニーはどこかで自分の意思を貫くところがあって、ぼくが何かの指示を出しても、頑として譲らないときがある。ドッグスクールの先生も、この子は頑固な子だ、とはじめてボニーと接したときに言っていた。図星だった。
 
 たとえば、若い時のボニーはボール拾いの天才で、公園の茂みの奥に落ちているボールをいち早く匂いで嗅ぎとり、ぼくの静止を跳ね除けてズンズン茂みの奥に入ってゆき、葉っぱまみれになって自慢げにボールを咥えて戻ってきた。「放しなさい!」「アウト!」と何度やっても放さない。けっきょくそのボールを咥えながらいつも家まで帰った。数えたことはないが、ボニーが拾ってきたボールの数は15年間でゆうに200個、いや500個は超えたと思う。

 いま、ボニーのそんな頑固さはすっかり姿を消した。ボールにも関心を持たず、ただバギーに乗って公園に行き、少し歩いて、外の空気を堪能して帰るだけになった。

 そして、ボーッと二人で立ち止まっているとき、ぼくはボニーにいろんなことを語りかける。 するとボニーは横眼でぼくを見て舌を出して笑ったり、むすっとしたりする。もう主従関係は解けて、ただ一緒にいる存在になりつつある気がする。そんな時間が日々増えている気がする。


 夕暮れの桜の色のまぶしさに目を細めつつ犬と語らう
 


  

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