⑲犬と哲学

 今日も小春日和。今年はほんとうに暖冬だ。午後にボニーを庭で日向ぼっこさせながら1時間ほど読書をした。仕事の関係で読まなければいけない、ワイルという科学者の難しい本。でも案外よく頭に入った。ボニーはずっと春の光の下で寝ていた。
 
 その本の主題の「有限と無限」というテーマは心惹かれる。

 愛する犬と一緒にこうしていられる限りある人生に、何度も何度も季節が巡ってくる。去年のこの庭でボニーは同じように眠っていた。一昨年も、一昨々年も、さらに……と。

 来年の今日、ボニーがいなくなったこの庭にも同じ立春の太陽が降り注ぐのかと思うと、有限の命とは、無限の時間の巡りに溶けていっていくものなのだなと実感する。いつかぼくも必ずいなくなり、それでもなお季節は巡る。

 でもほんとうにそうなのだろうか? 

 ボニーは最近、すごく元気だ。家では寝てばかりだけれど、散歩に出れば「よーし」と言わんばかりにいっぱい歩く。ぼくは必死に、足を引きずりながら歩くボニーを支えて歩く。と思うと突然佇んで同じところにふたりでぼーっと固まっていたりする。その一瞬一瞬が楽しい。今日もO公園でしばらくふたりで梅を眺めた。
 
 もしかしたら来年もこうしてボニーと過ごしているかもしれない。いや、来年とか今年とか関係なく、二度と来ない今日この一日が絶対であって、無限そのものなのかもしれない。

 と、ほろ酔いの頭でちょい哲学してみた。


 いつか消える時はいつかと問いかける立春の庭にまどろむ犬よ
 
 
 
 

 

 
 
 
 

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