(58)喪失からの道のり1

 正直に言うと、ボニーが亡くなって10日が過ぎ、体の負担はかなり減った。首と腰のヘルニアの悪化の心配は軽減し、睡眠も取れている。

 しかし、精神的な打撃は日が増す毎に重い。早く寝れるのだけれども、悪夢がはげしい。午前2時前後に飛び起きてしまう。ボニーの悪夢ではなく、ボニーがいたから見なずにすんだ、ぼく自身が抱えていた悪夢だ。
 たとえば、前の職場で耐えられない上司の顔を見るような。。。そしてそこから逃げるようにボニーと走っている朝のような。

 今日は、ボニーが亡くなってから初めてO公園に行った。晩年のボニーと遊んでくれた犬たち飼い主たちが、すでに知っていて、涙を流しながら労ってくれた。こんなやさしい人々に守られて亡くなったんだなあと、感謝ばかりだった。

 そのあとパピーの頃から遊んでくれたIさんとO公園で桜を見つつ飲んだ。いろんな話をした。癒された。

 そして、ボニーと過ごした家に帰ると、平然とテレビを観て笑っている老いた父や母の姿を見て、ゾッとして部屋に籠った。

 いったい、ボニーはなんのために15年ものあいだこの家族を救ってくれたのか、なぜぼくはボニーとともにこの家族のために生きてきたのか。
 
 これはぼく自身の問題でボニーとは関係ないけれども、辛い日々だ。
 
 これ以上はもうきょうは書けない。
 

 会えずとも、いや会えてもこの苦しみを
 お前はもう抱えず遊ぼう






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