(61)喪失からの道のり4.母娘の涙

 夕方、近所のドラッグストアに買い物に行ったら、ずっとボニーを可愛がってくれた近所のお母さんと小学1年生くらいの娘んさんに会って、ボニーが亡くなったことを伝えた。

 お母さんも〇〇ちゃんも涙を流してくれた。いつも近所のJ公園にボニーを散歩に連れていくと、いつも駆け寄ってきてくれて、親子でボニーを可愛がってくれた。特に最近〇〇ちゃんは、友達とJ公園で遊んでいるとき、うまく歩けないボニーをぼくが必死にハーネスで支えながら歩いているとき、そっとやってきて黙って頭を撫でてくれた。

 ドラッグストアで泣いてくれた母娘に、これまでのことに感謝の気持ちを伝えながら、つい一緒にちょっと涙してしまった。そしてドラッグストアを出て、満開の桜を見上げた。

 ボニーがぼくに教えてくれたことは、人間というものは、特に命を育て守っている人は、どこまでもやさしく、慈しみの心を持てるのだということだ。

 そして家に帰ると、「いつまでもクヨクヨと女々しいな」と家族は言いはじめた。このブログもそう思われるのかもしれない。でもぼくはそう述べる「他人」がいることを受け止めつつも、嘘のない自分のなかの命の源をみつける心の旅をつづけていきたいと思っている。

 これまでの15年をけっして無に帰しないために。あの母娘の嘘のない涙のために。


 渇きゆく人のこころはそのままに
 桜見あげて「君」を見つけた


 



 

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