(64)喪失からの道のり7,人生の岐路

 いま、いろんなことが頭を巡っているけれども、その要点を挙げてみると、
 一、この喪失感をどのように克服するか
 二、どのような新しい人生をスタートさせるか
 三、そして自分は生きていけるのか

 そんなところだと思う。
 愛犬を失うこと、いわゆる「ペットロス」はよく言われることだけれども、そう簡単には言語化できない問題が「ペットロス」にはある。愛する者を「喪失」するということは、どちらかというと「ロス」というよりも、「痛み(ペイン)」に近い気がする。肉体的・精神的「痛み(ペイン)」で、自分のそれまでの人生がぐっさりと大きな刃物で抉られるようなものだ。

 きっとその刃物とは、自分自身のこれまでの人生だ。

 大袈裟だろうけれど、ぼくにとってのボニーの存在は、言葉には言い表せないけれども、たとえば晩年の全力の介護に最後まで変わらぬやさしい笑顔で応えてくれた、比類のない信頼そのものだった。

 心から信じられる存在には誰もが人生でそう簡単には出会えない。だからほんとうの信頼の喪失は痛すぎる。

 ボニー亡き後、心から信じられる生はあるのか。いつ死んでもいいと思える生をこれから生きれるか。いまこの「痛み(ペイン)」とともに、人生の岐路に立つ。

 
 風がやみながれる雲の端々にお前はあそぶ春の夕空



 

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