㊿磨りガラスの世界で

 今日は2週間に1度の診察とシャンプーの日。ヨイショとボニーを車に乗せ、午前中にお医者さんのところへ行った。

 少し前までは、「お医者さんにいくよ!」と言うと尻尾を振って喜んでいたものだけれど、ここのところはそう言ってもボーッと僕を見つめている。
 
 でも車が病院に近づくとワサワサとしだす。不思議と大好きな先生と看護師の皆さんに会えるとわかるらしい。ずっと優しく見てくれている先生たちのお陰で、ボニーは十五歳の今まで健やかに生きてこれた。

 ただ今日、先生から言われたことに少しショックを受けた。ボニーの眼が、急速に悪くなっているのだ。3回目の脳梗塞後、後ろ足の衰えとともに、目もそうなってきた。先生は診察をしながら、「いまこの子の目は、摺りガラスを通して見ているようなものです」と言い、ボニーの頭を撫でてくれた。

 そう、ここ数週間、ぼくが少し離れたところから「ボニー!」と呼んでも、首を振りながら「どこにいるの?」といった素振りをしている。それでぼくが目の前まで近づくと尻尾を振る。つまり視界がぼやけていて、僕の姿が見えなくなってるのだ。

 分かっていたことだけれども、先生にそう言われるとやはり落ち込む。でも、今日も診察後のシャンプーの後、午後に迎えにいくと、看護師さんに支えながら、うれしそうに僕のところにやってきた。

 もしかしたら「磨りガラス」の世界の方が、衰えてきたボニーにとっては自然なことなんだと思う。公園で走り回っている若い犬たちや子どもたち、そしていつも不安な顔をしてしまう僕を、しずかに眺められるのだ。

 これからもっとしずかに近くによって「ボニー」と呼ぼうと思う。そしてどんなときでも、側で一緒に摺りガラスの世界を眺めようと思う。


 白んでゆく道をともに歩きつつ
 ほのか赤らむ桜を眺める









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