(69)喪失からの道のり12.ともに旅立つとき

 今日は鵠沼海岸に行って、ボニーが大好きだった海を眺めたあと、街をうろうろとひとりで散歩した。

 実はこの街に引っ越そうかと思っている。というのも、もうボニーがいなくなった横浜の実家には家族とのイザコザが絶えなくて、もういたくないことと、コロナ危機もあって、新しい仕事のスタイルへとシフトすべきときが来たと思っているからだ。ボニーをずっと可愛がってくれたFさんとも色々とそんな話して、理解してくれていることにほんとうに感謝ばかり。

 ボニーは3月13日に亡くなったのだけれど、それから一気にコロナ危機は戦争状態へと悪化してきた。彼女は賢い子だったから、色々と不穏な雰囲気を察していたのかもしれないとも思う。動物は人間以上に予言的存在だともいうし、ボニーの介護に疲れながら、老いてゆく両親や兄弟に振り回されて耐えているぼくのストレスを受け止めてくれたボニーのストレスも限界だったのだろうと思う。

 それと「戦争」というと、ぼくらのなかでは第二次大戦以来となるわけだが、日本はあの時代もやはり情報戦で負けていった。いまもそうかもしれないと思う。「われわれ日本人が一丸となって」とかいうスローガンがメディアで目立ってきたが、そういう精神論ではなく、生存するための緻密な科学的根拠に基づいた話をしてほしいと思う。そして、科学的に(医学的に)解明されていない問題があれば、人文学的な見地からも緻密に考えるべきだと思う。

 たとえば、昨日引用した堀辰雄『風立ちぬ』は昭和初期の当時、不治の病であった結核に犯された妻を看取り、生きていく話である。そうした先人達の「知」は、ぼくらの不安を解消するはずだ。あるいはトーマス・マンの『ベニスに死す』や、カミュの『ベスト』も。

 歴史に学べば、これから僕らはどうなるかは大体予想がつく。「敗戦」という言葉が脳裏によぎる。これから大きく時代は変わっていくと思う。

 ボニーはそんな混沌の時代の境目に旅立っていったのだと思うと、なんだか切ないけれど、ぼくの背中を押してくれているとも思う。四九日まではまだここにいるけどね。


 突然の君の旅立ちであったけれど 君とともに旅立つときかも


 

 (今年の2/24の鵠沼海岸で)

 


 

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