(66)喪失からの道のり9.ともに生きてきた意味

 昨日、一昨日と辛い感じだったけれども、今日は少し回復。

 ふと考えたことが、これから一人で生きていくということは、これまでの15年4ヶ月をボニーとともに生きてきたことの上にあるということ。ずっと新しい人生をはじめなければと焦り気味だったけれど、ぼくがこれまで生きてきたことの延長に、次の人生は開けているはずだ。

 ぼくがずっとやってきたことは、ボニーとともにやってきたことだ。いろんな仕事もした。ボニーはずっと側にいてくれたし、待っていてくれた。それだけでぼくはいろんな仕事をこなしてこれた。

 この先もずっとそうだ。Fさんから昨夜、「ボニーが心配しているよ」と連絡がきた。「そうだね」と思った。

 4月になった。世間ではコロナがまだまだどうなるかわからない。みんなわからないのだから、自分の道を一歩一歩進んで行かなきゃね、ボニー。


 足元の濡れた道に桜落ち なき君想い歩み過ぎゆく


(3年前の春、去年の夏に亡くなった庭猫と)

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