(77)喪失からの道のり20.復活祭に思うこと

 数週間前から、左瞼の痙攣がつづいている。医師のFさんに相談したら、明らかにストレスが原因とのこと。そうか、ボニー・ロスのストレスなんだと思った。加えて、ボニーのいない家族とのコロナ軋轢のストレス……こっちが大きいと思うけれども、やはりそろそろ心身に支障がきはじめているのだと思う。

 このブログも、もしかしたらその原因かもしれない。グリーフケアのためには悲しみと向き合うことが大切だと友人の医師に言われたけれども、このブログを書くことが実は精神の負担なのではないかな。でも四十九日までは、あるいは100回まではつづけたいなと思っている。ぼくは「書く」ことが仕事だから、こういう突き詰めていくストレス負荷をかけながら書いていかなければと思う。

 もうすぐボニーが亡くなって1ヶ月。昨日は「黙示録」について書いたけど、キリスト教世界では今日はイースター(キリスト復活祭)だ。 世界中のクリスチャンが、このコロナ戦争の只中に何を思っているのだろう。ぼくはただボニーとの日々を思い出すだけだ。
 
 全ての人が悲しみのなかでも幸福な一瞬をその手に握られることを祈りつつ。


 今日ねむり明日めざめればそれでいい 思い出せるだけ君を思えば


  

 (7年前、O公園の花見にて)


   

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