(78)喪失からの道のり21.はじめての月命日で

 今日はボニーがこの世を去ってから最初の月命日だ。あっという間の1ヶ月だった。1ヶ月がこんなに短かったとは。

 コロナ危機もあったから、そう感じているのかもしれない。平時であればもっと静かにその死を受け入れられたかもしれない。

 1ヶ月前になぜボニーが突然いなくなったのか、その理由が分からないのが辛い。前日までは食欲もあり元気だった。当日の朝ぐったりと動かなくなったボニーをお医者さんに連れて行っても、理由は分からなかった。ただ、もう時間の問題だ、ということだけだった。

 思うに、それまでぼくは全身全霊でボニーの介護をしていた。いつかは亡くなるという心の準備はしていたのだけれども(そのためにこのブログもはじめたのだけれども)、もう少し緩やかに衰えてゆき、ついに歩けなくなっても頑張って介護をして、最後を迎えようと思っていた。

 その日の朝、ボニーはぼくをいつものように玄関のドアの手前で待っていてくれた。ぐったりとして横たわっていたけれども、起きてきたぼくを見て顔を上げ、少し尻尾を振って、そのまま深いねむりに入っていった。ちょっと苦しそうに吐きながら。。。

 もう1ヶ月が経ったのにもかかわらず、脳裏にあの時のボニーが昨日のように鮮明に残っている。だから今日はひとり瞑想するように過ごした。ボニーとよく聴いたホロヴィッツのベートーベンのピアノ曲を聴きながら。

 そうだ、あの次の日、Fさんと一緒に焼き場に行った次の日も、今日のような、泣いているような冷たい雨だった。

 
 ひと月が昨日のように過ぎてゆき君を偲んで雨音を聴く


 
(3年前の秋の夜)

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