(83)喪失からの道のり26.いまの世界をボニーは分かっていた

 さっき、テレビのニュースで、このコロナ危機のなか、家族の介護をしている人のアンケートがあって、そのなかで、自分が感染してしまったら介護する代わりがいない、と思っている人の切実な悩みが多くあると知った。そしてそうした家族を介護する人のいまの不安感に、自分がいつ感染するかもしれないというコロナ・ストレスが加わって、うつ病の発症が増大する懸念があると。

 そう思う。もしかしたらボニーを今も懸命に介護していたら、心身ともにストレスは倍増していたかもしれない。ボニーの介護をしながら、自分はけっして感染してはいけないと、ずっと緊張していた。

「そうなったらプロに任せればいいでしょ」という、家族の意見もあったけれど、そうじゃないんだ、とうまく言い返せず悩んだ。

 いつトイレをしたいのか、いつ水やご飯を口にしたいのか、いつどこでゆっくりしたいのか、あるいは、これをするのは嫌で、これをするのが嬉しい、などなどずっと一緒に過ごしてきたからこそわかることがある。長く過ごしてきた延長に、ほんとうの心を通わせられる介護生活があるから、けっして簡単に「プロに任せれば」などとは言えない。

 今日も老犬の介護に必死になって、このコロナ危機を乗り越えている人々になんとか踏ん張ってほしい。
 
 賢かったボニーはもしかしたら、ぼくのそんな思いを感じ取って、もう無理だよ、と旅立ったのかと思うと、また涙が滲んでくる。
 ありがとう、ボニー。


 全て知り君はあのとき逝ったのか がんばろうねと語りながら




 
(去年の晩夏、お友達と)

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