もしぼくが死んだら、ボニーと一緒に眠らせてほしい。ボニーの骨とぼくの骨が一緒になれるように。
もしぼくが死にそうになって、救急車で運ばれるときは、ボニーの写真を一緒に乗せて欲しい。誰も来れなくなった集中治療室で、ボニーの写真をずっと見ていたいから。
もしぼくが死ぬこともなく、生きてゆけるのなら、ボニーへの愛と同じ愛を、身近な愛するひとに捧げていきたい。
こんなことをいうのはくさいなあ、と思いながら、でも正直にと思って書いている。
もし、ぼくが生き抜けるなら、ボニーともあなたとも生き抜こう。
かなしみとよろこびが一つとなったとき 君とともに笑顔でいられる
(4年前の2/8の庭で)
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