(89)喪失からの道のり31.大切な人のために

 自分にとって大切なものをしっかり抱きあげて生きていくことは、言うは易しで、実際にはとても難しい。なぜなら自分にとって何が大切なものかがなかなか分からないからだ。家族? 恋人? 子ども? ペット? または自分自身?......。

 コロナ禍で多くの人がそれに気づきはじめていると思う。明日、自分が新型コロナに感染してしまうなら(そして数日後に死んでしまう可能性があるなら)、今日のうちに大切な人へメッセージを送りたいと思う。ありがとう、またね、と。

 不吉なという人もいるかもしれないけれど、ボニーが旅立った日、ぼくはそういえたし、きっとボニーもそれを聞いていた。棺のなかに眠るボニーに、おやすみ、またね、と語りかけたけれど、不思議とそれが素直な祈りの言葉になったように思う。

 ぼくにはいまも大切なものがあり、大切な人がいる。だから言葉を発していきたいと思う。このブログもそうかな。ボニーの四十九日まであと少し、大切な人のために、自分自身のためにも、言葉を綴れたらと思う。


 わざわいの春が過ぎてもかがやける庭のまなかに君が幻

 


 (2年前の春、庭で)

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