(90)喪失からの道のり32.「犬の生活」

  世界には犬の物語があまたあるけれども、ぼくもよく読んでいる。
 
 前に、ボニーがまだ生きているときにブログにも書いたチャップリンの映画「犬の生活」と同じ題の小説がある。小山清という人の小説だ。いまはほとんど忘れられた作家だけれども、ぼくは昔から好きで、ときどき読んでいる。とても不遇な人生で、服役などもしているけれど、ほんとうに純粋な作家だ。戦後のどん底の生活のなかで、細々と物語を紡いだ。

 小山の「犬の生活」は、捨てられた犬を拾うのだが、その犬が子どもを孕んでいて、大家さんにこの犬を飼っていいかと交渉すると、大家さんも犬好きで可愛がってくれたり、獣医さんに連れていってこの犬は大丈夫なのかと慌てて駆け込むと、大丈夫だよと宥められたり、ちょっとしたドタバタを繰り広げながら、その犬(メリーと小山は名付けた)が子を産んで、誇らしげに子を育てている風景を見つめるという、とても静かな日常を描いている。

 最後に小山は、チャップリンの映画「犬の生活」のポスターをふと思い出し、なんとなく幸福な思いに駆られる。

 ぼくはこの物語をようやく受け入れられる心境にきたと思う。先月ボニーが亡くなってから、コロナ問題も、家族問題も吹き上がって、いろいろなネガティヴな雑念が頭を巡ってきたけれど、こうしたちいさな出会いの物語にいまは救われる。

 小山は精神的苦境に陥り、無名で亡くなったけれども、ぼくもそれでもいい気がする。ボニーと生きてきてよかった思える物語を綴りたい。


 まだ小さきあの日の君を思い出し 君が去った世界にたたずむ


 

 (7年前の2月、親友の庭猫と)


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