今月の終わりで、ボニーの四十九日だから、今日を含めてあと4回、このブログを書いて終えようと思う。その後も時々書くかもしれないけど、こんなふうに毎日はやめよう。
毎日書けたことも、またボニーと一緒に生きてきた15年4ヶ月があったからこそだと思う。それだけぼくはボニーという存在のために生ききれたんだと思う。
当たり前だけど、「喪失」から初めてわかったことがたくさんある。一言で言えば、犬はほんとうに偉大だ、ということだし、人間はなんて弱い存在なのかということだ。
晩年の2年間はボニーをハーネスで支えながら必死に歩いたけど、ぼくがほんとうは支えられて歩いていた。
自分の弱さに気づかせてくれたこと、そしてその弱さをずっと支えてくれたボニーとの日々の記憶とともに、今後の生を転がるように歩いていこうと思えてきた。
いつかまた会えると信じきれたとき おのずとぼくは君と歩ける
毎日書けたことも、またボニーと一緒に生きてきた15年4ヶ月があったからこそだと思う。それだけぼくはボニーという存在のために生ききれたんだと思う。
当たり前だけど、「喪失」から初めてわかったことがたくさんある。一言で言えば、犬はほんとうに偉大だ、ということだし、人間はなんて弱い存在なのかということだ。
晩年の2年間はボニーをハーネスで支えながら必死に歩いたけど、ぼくがほんとうは支えられて歩いていた。
いつかまた会えると信じきれたとき おのずとぼくは君と歩ける
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