(106)ボニーの一周忌

今日でボニーが亡くなってから1年が経つ。長かったような短かったような、よく分からない。


ちょうどコロナ第1波が広がってきたとき、ボニーは15年4ヶ月の寿命をまっとうした。前日までいつものようにバギーに乗って散歩し、磯子の丘の上から街を一緒に見下ろし、その後いっぱいご飯を食べて、眠った。次の朝、ボニーは具合を崩して、獣医さんに連れていっても手の施しようがなく、家に連れて帰って、そのまま11時5分にいつものベッドで息を引き取った。


いまもその時のことは鮮明に思い出す。

ボニーは最後まで僕と一緒だった。ボニーにとっても僕にとってもそれは良かったと思う。でも人生ではじめて思いっきり泣いた。

いまも涙が滲んできている。


その後、ぼくはボニーが大好きだった鵠沼海岸に引っ越して、第二の人生をはじめたのだけれども、毎日ボニーのことを思い出している。夢もよくみる。この間は、ボニーがいつものベッドで亡くなった後、しばらくしたら尻尾を振りはじめて、「なんだボニー! 生きてたんだね!」と抱きしめたら、もっと大きく尻尾を振ってボニーは喜んでくれた。

目が覚めた後には当然ボニーはいないから、僕はひとりいつものように海岸を歩く。


最近、自分のこれまでの人生を振り返ってみて、きっとボニーがいなければ、今日まで生きれなかったのだと実感する。僕が31歳の時に3ヶ月のボニーがきて、47歳になるまで一緒に生きた。その間、家族との凄まじい軋轢や、自分自身のどうしようもなく迷いだらけの生き方のなか、ボニーはずっと側にいてくれて僕を生きていていい存在としてくれていた。

だからどんな嵐の時も、大雪の時も、必ず散歩に行って、一緒にご飯を食べて、一緒に寝た。

ボニーのために生きていたように思う。


これからどうすれば生きていけるだろうかと思っている。なんとなく、僕の人生はそんなに長くない気がしてしまう。

でも一周忌が過ぎれば、喪が明ける。


夢の中で、ボニーがいつもいる。現実の中で、ボニーがいつもいない。そのことの狭間に揺らいでいながら、明日も1日を過ごしていこうと思う。



ほんとうに、かけがえのないほど、いい子だった。




(2020.2.24。鵠沼海岸での最後のボニー)


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