(108)ボニーの2回目の命日

  不思議と2年が経つと、去年の今日とは違って心は穏やかでいる。きっと去年までの喪失感よりも、自分のなかでボニーの不在を受容出来ているのだと思う。

 でも数日前にボニーと毎日歩いた岡村公園の梅林をひとり歩いていたとき、咲いている梅を眺めながら、いまはひとりなんだ、という実感が湧いてきた。

 ボニーはいない。その事実だけを毎日少しずつ受け入れてきてもう2年。あれほど一緒でなければ生きていけないと思い、最後の最後まで全力で介護していた自分が、ボニーとともに去ってしまったことに、まだうまく適応できていないのは確かで、ずっと自分が自分でないままに生きているような違和感がある。

 このままずっと自分は生きていくのだろうか。あるいは、ボニーのもとに赴くほうが良いのだろうか。今もボニーは僕を待っているんではないか、最後の日の朝も、倒れて動けなくなってもなお、首だけをもちあげて僕を見つめていたのだから……とあの最後の残像だけが脳裏に繰り返される。

 ボニー。もう少し待っていて。また一緒に過ごす日は必ず来るから。あの夢のような楽しかった日々は、もう一度必ず、僕の命が絶えたあとに必ず来る。もう少し待っていて。

 そのようにしか思うことはできない。2回目の「3/13」の夜を過ごして。



 桜咲く夜にかけよるきみを探して両手ひろげてぼくはいつもきみを思う









  

 


コメント